メシアと人人『最後の悪あがき』REVIEW

先日『たまの映画』を観た。2010年に公開されたバンド解散後のドキュメンタリーで、個人的には、“死についての捉え方がメンバーの共通項”という話が印象的だった。ギター知久寿焼の父親は、人一倍健康に気を遣っていたのに不運にも車にはねられて亡くなってしまったという。そのことを彼は「笑うしかない」と表現し、パーカッションの石川浩司も生きるためにそういった感性は必要だと劇中で語っている。


京都のツー・ピース・バンド、メシアと人人(めしあとにんじん)のデビュー作『最後の悪あがき』からも似た精神性を私は感じた。直球メロディック・ハードコアな「お金」、「あいうえ」に続く3曲目の「待って」という曲では、《人は死に易い すぐに人は死ぬ 人は死に易い 人も動物だから》とギター北山敬将が歌い、フィードバック・ノイズとともにドラム福田夏子による《待って》というコーラスが続くが、これが優しくて沁みる。

フォークを基調とするたまと音楽性は異なるが、絶望的なことを淡々と時にユーモラスに表現する姿勢は共通すると思うのだ。さらに、不穏なイントロのギター・リフとキャッチーなコーラスがブラー「Song2」を連想させる「悪あがき」が中盤5曲目で差し込まれ、次の曲「おんなし」はデビュー時のブロック・パーティーを髣髴とさせるダンス・チューン、といった調子でアルバムを通して我々を飽きさせない。

ところでメシアと人人はあえて2人編成なのではなく、ベーシストの急な脱退のため止むを得ずだったものがそのまま定着しているという。2人しかプレイヤーがいなければバンドとしてのグルーヴを生みだし難い。しかしそれを逆手にとってか、音の隙間をノイズで満たし2人ゆえのオリジナリティーを生み出している。

ノイズといえば「メシア(救世主=ジーザス)と他の何か」というバンド名が示唆するごとく、彼らのサウンドはある程度ジーザス・アンド・メリー・チェインの影響下にあるようだが、様々な音楽要素を貪欲に吸収し、ノイズまみれの自分達のポップスに仕立てあげる方法論は、まさにジーザス・アンド・メリー・チェインというバンドの本質を受け継いでいると言えないか。

ある音楽を愛しその成り立ちまで想像すれば、表面的なスタイルの真似に終始するのではなく、そのミュージシャンの生き様、積み重ねられた歴史に思いをはせることになるはず。そういった経緯で生み出された音楽は、ジャンルや楽器の種類、演奏者の人数といった形式を越えて共通するもの、人生における普遍的な何かに到達することがある。



本作リリース後のライヴを名古屋で観た。「また余計なこと言っちゃった」と苦笑する北山の顔もギターも泣いているように見えた(聞こえた)。ドラムとギターが生み出す轟音のなかに果てしない静寂があった。北山が曲の合間に飲んだペットボトルを空にして、急に衝動的に激しく弦を叩いた時、小さな彼の身体が鬼のようにでかく見えた。私の耳と心臓が笑って泣いていた。

メシアと人人のジャンルがパンクだろうが、シューゲイザーだろうが、はたまた北山本人が言うように「相撲」だろうが何でもいい。本作は私にとって、辛すぎて「笑うしかない」という時にこそ聴いていたいアルバムだ。


 
メシアと人人 ホームページ