Jim O’Rourke"Simple Songs" REVIEW

  ジム・オルークのチェンバー・ポップ編成での新作をくりかえし聴いている。前野健太、石橋英子、カフカ鼾とプロデュース、コラボレーション作が続いていたが、ついにジム・オルーク本人がヴォーカルをとったリーダー作だ。珍しい楽器、手法や即興を繰り返し突き詰めた上でシンプルかつポップなメロディー、うたものに回帰したのが近年のジムの作風。本作は50年代以前のアメリカン・ポピュラー・ミュージックを思わせる壮大なアレンジと、ジムが愛するレッド・ツェッペリンのようなクラシック・ロックが持っていたグルーヴ感が全編を貫いている。


  8曲目のラストはおそらくポール・マッカートニー的なものだろう。「Hey Jude」の長いアウトロを否が応にも連想させる。1曲目はグラム・ロック以前のデビッド・ボウイ、特にフランク・シナトラ「My Way」のオマージュである「火星の生活」を思わせる。2曲目は典型的なポスト・ロック的アプローチ、変拍子の連続に70年代日本のフォーク、特に前野健太が好んで引用しそうなメロディーが乗る。しかもよく聴くと癖になるコーラスのリズム感が黒い。ザ・ローリンングストーンズの「サティスファクション」だと気づいてなるほど!と。ぼそぼそと呟くように、しかし深い情念をこめて歌われる歌詞は「明日、君の家にいっていいかな?」というただそれだけのこと。表現を変えてひたすら繰り返しているのだ。たとえ英語が分からなくても曲そのものが雄弁に主張している。7曲目ではクイーン「Don’t Stop Me Now」のコーラスが挿入されてくる。しかもgoodをbadに言い換えて中途で断章する。

 フランク・シナトラ的なアレンジも、クイーン的なメロディーも、LGBTである(あるいはそれを装わなければならなかった)ミュージシャンが、社会のメインストリームで認められた古典的な歌の形式を茶化して新しいものを生み出していったものだと思うが、ジムもそういったひねたユーモアを潜ませているのではないだろうか。

  もちろん私が挙げた例は氷山の一角で、それこそ聴く人それぞれ違う様々な音楽を連想させるだろう。万華鏡のように聴く者の音楽遍歴を映し出す、シンプルに響くのに底なし沼のようなアルバムだ。アイルランド移民のアメリカ人である両親から生まれ、ヨーロッパの音楽、日本の映画も含め様々な芸術に関心を持ち、自分は音楽よりもむしろ音楽が社会に及ぼす影響に興味があると語る彼が、日本に移住しその影響を咀嚼したうえで作り上げた作品。どの文化にも完全に所属しないからこそ、それらを使いこなす。

 ジムがフェイヴァリットに挙げるスパークスのように、長い歴史を持たないアメリカ人、かつ流浪の存在であるからこそ、ヨーロッパの文化も日本の文化も吸収し新しい神話となるべき音楽を作り上げたのかもしれない。これはいわばジム・オルークを主人公としたヒロイック・ファンタジーなのだ。