伊達伯欣『からだとこころの環境 ―漢方と西洋医学の選び方』REVIEW


はっぴいえんどの『風街ろまん』は、1964年のオリンピック開催に向けての都市開発で様変わりする前、メンバーが幼少期に過ごした東京の原風景を歌ったといわれ、80年代シティー・ポップの源流の一つとされている。対して10年代シティー・ポップはバブル以降に生まれた、あるいは物心ついた世代が、残された音楽や資料から当時の雰囲気を追体験する営みだという捉え方もできる。しかし話はそう単純ではなく、かつて存在したきらびやかな都会での暮らしを素直に模写するのか、かつての繁栄を思い描いたうえで開発の末に行き詰った社会とその先を見つめるのかで全く意味は変わってくる。バブルの幻影にすがり再開発し続けるのか、景気の低迷や人口の縮小に見合った自然な形で都市を再利用するのかとも言い換えられる。


伊達伯欣(ダテトモヨシ)の著書を読んで上記のようなことが脳裏に浮かんだ。彼は東洋医学を学んだ医師でありアンビエント・ミュージシャンでもある。Chihei HatakeyamaとのユニットOpitopeでのアルバムや坂本龍一らとの共演盤など数多くのアルバムをリリースしており、本書巻末のディスク・ガイドでは武満徹やブライアン・イーノなど彼が勧める環境音楽が紹介されている。

本書の内容は主によりよい生活や医療、特に漢方の実践についてであるが、全体的にとても読みやすい。取り上げられる話題は例えば、機械で大量生産されたコンビニ弁当より同じ素材で作っていても手作り弁当のほうが美味しく感じる。人の手によるブレがあるからだといった調子だ。音楽の話に置き換えれば、同じような電子音であれ、パソコンで打ち込んだだけなのか、実際に手で弾いた、あるいは生演奏の具体的なイメージがあって打ち込まれた音楽であるかで聴感が変わってくるが、それはアナログな揺らぎがこめられているからだと説明される。単純にデジタルが悪いと切り捨てるわけではない。テクノロジーにいくらか頼っていても、そこに人の手が加えられ、感情がこめられているかどうかがより大切なのだと。

他にも著者の臨床経験などに基づき様々な具体例を挙げて論じられている。単純に効率がいいか、お金が儲かるか、現時点で楽か幸せか、社会に認められているか、などを基準にすると時におかしなことになる。時間的にも空間的にも広い軸をとって考え、本来の自然な在り方を知ること。怒りをなくす、落ち着きをえて主体的に判断することの重要性について書かれた後半は特に読み応えがあった。その考察のはてに彼が提唱するアンビエント・ミュージックの在り方が自ずと聴こえてくる。伊達自身の音楽も徐々に打ち込みから生演奏に回帰していったというが、この本を読めばアンビエントに限らず、既に慣れ親しんでいたはずの音楽の聴こえ方が変わってくるはずだ。