gotch(from ASIAN KUNG-FU GENERATION ) INTERVIEW

以下は海外メディアbeehypeが『Best of 2014 JAPAN』用に取材した内容です。



ASIAN KUNG-FU GENERATIONの後藤正文がGotch名義でリリースした『Can’t Be Forever Young』は10年代を代表するアルバムの一つだ。「Lost/喪失」を始めとする、30代も半ばを過ぎた自身の心情と、3.11以降の世相を重ね合わせたような歌詞。そして現代のインディー・ロックから、フォーク、カントリー、ブルースに至るまでアメリカの音楽の歴史を俯瞰したサウンドには、私たちの未来、これからとるべき行動を考えるにあたって、重要なヒントがあるかもしれない。

そして11月19日にはアナログ2枚組LP盤(+CD)でツアーでのセット・リストを丸ごとパックした『Live in Tokyo』が発売。11月28日には新曲「Route 6」の7インチ(+CD)、12月には『Live in Tokyo』CD盤発売に伴い、後藤正文責任編集による『THE FUTURE TIMES』第7号が配布開始される。このインタビューは、後藤がそのタイミングで、海外メディアbeehype(ビーハイプ)の取材(『2014年、日本の聴くべきインディー・ミュージック50枚』)に応じて語った内容の日本語版である。


──ソロ・アルバム、ツアー、ライヴ盤と製作されるなかで、ベックを始めとする90年代のローファイな、暖かい音を選び、ルーツ・ミュージックを意識されている気がします。今後の作品がどういったものになっていくのか、とてもわくわくします。後藤さんの現在の実感としてはいかがでしょうか。

ピッチもリズムもバキバキに補正された四角四面の音楽から逃れたいという気持ちがあります。人間のやる音楽の魅力は、その揺らぎにあると考えています。そんなことを意識して、ああいった暖かい感触に向かっていきました。90年代が引合いに出されるのは、僕の青春が丸ごと90年代にあったので、仕方のないことだと思います。90年代に体験したことが、僕の血や肉になっていますから。



──ライヴで披露されたウィルコのカヴァー「A Shot In The Arm」素晴らしかったです。 ウィルコは、カントリーのようなロックのルーツに根差した表現に加え、新しいオルタナティヴ・ロックをも体現しているミュージシャンだと思いますが、この選曲の意図を教えていただけないでしょうか。

ウィルコは10代の頃からフェイバリット・バンドのひとつです。おっしゃる通り、彼らは伝統的なアメリカ音楽と現代的な要素を上手く掛け合わせていて、ポップ・ミュージックにおけるひとつの理想形だと思います。ソロのミックスを(ウィルコが拠点とする)シカゴで行ったということも影響していますし、バンド・メンバーの顔ぶれからも、ウィルコのカヴァーがハマるのではないかと考えました。曲目についてはギターの井上君(Turntable Films)と話し合って決めました。

それから、アルバムが一枚しかない状況でのツアーでしたから、どうしても曲数が足りないという問題がありました。それを解決するのに、ルーツであるバンドやアーティストの楽曲をカヴァーするのがいいのではないかと思ったんですね。あたりを見回すと、ルーツに接続する意識がやや乏しく感じることが増えました。そういう風潮に対するささやかな提案の意味も含めたつもりです。



──ソロ・アルバムは後藤さん自身が100%のものになると予想していました。しかし、アルバムでは登場人物に代弁させるような客観的な歌詞であったり、普段、日記に綴られている内容よりもかなりマイルドな印象を受けました。アルバムのジャケットのコンセプトを、『自分の葬式に行こうとしているところ』だと話されていましたが、そのジャケット写真でもライヴでも帽子を被ってらっしゃいましたね。これはひょっとしたら、後藤さんではない誰かのキャラクターを演出していたのでしょうか?


アルバムのジャケットはまさに、葬式に行くところがモチーフになっています。で、それは自分の葬儀なんですね。自分自身の「ヤング」みたいな何かへのレクイエムでもある。そんな意味を込めてのジャケットです。帽子については、特に深い意味はないです。ただ、ハットをかぶって撮影したほうが、僕自身とジャケットの中の僕のキャラクターに少しの差が生まれると思ったんですね。なにしろ、自分の葬式に行く自分ですから、少しの仮装があったほうがイメージが広がるのではないかと。そんなふうに考えて、あのジャケットを作りました。でも、あまり深刻なものにならないように、理容店の前で撮影したんですけれども。




──葬式という主題から繋がりますが、「Lost/喪失」の歌詞がすばらしいです。後藤さんが2008年のベスト・トラックとして紹介されていたThe Streets「Everything Is Borrowed」を思い出しました。あの曲の影響が後藤さんの中で血肉化され自然と滲み出ているのではと思いましたが、いかがでしょうか。(参照 『Vo.ゴッチの日記 (2008-12-14 01:17:00) 武道館』)


Everything is Borrowed」からの影響はとても大きいです。この曲からの影響はとても深くて、直接的に曲に表すというよりは、おっしゃるとおり血肉化していると思います。あとは音楽だけではなくて、カズオ・イシグロの『私を離さないで』という小説は、僕の詩作に決定的な影響を与えています。両作品に通底するフィーリングがあると思います。どちらも、損なわれることについて綴られたものです。そう考えると、村上春樹も僕にとってはとても影響力のある作家です。(※カズオ・イシグロは村上春樹とお互い尊敬し合う日系イギリス人作家。『わたしを離さないで』は2010年に映画化されている)




──ライヴの話にもどります。ASIAN KUNG-FU GENERATIONで数万人規模の会場でのライヴをするのと、今回のソロ・ツアーのように少し狭い会場でのライヴをするのとでは、やはり心境は違いますか?

心境の違いは特にありません。それでも、会場の広さによって響き方が変わるので、そういうことについては敏感でありたいと思っています。100人くらいまでの密な関係性も、1,000人くらいになると気密性が薄れるというか、行ったまま戻って来ないエネルギーが生まれるように感じます。数万人だと、もう投げっぱなしのような感覚ですね。なので、会場や観客の状況と自分たちの演奏のチューニングを合わせることが大事になってきます。それさえできれば、割と平易な心境で臨めます。でも、例えば、著しいアウェイの雰囲気などは、どうチューニングしたらいいか分からないので、会場の空気を掴むまではとても緊張します。そう考えると、キャパシティはあまり関係ないかもしれません。



──では最後の質問です。ツアーで各地を廻られる中で、アルバムの意志が観客に伝わっていると感じる瞬間はありましたか。その場合、どんなときだったでしょうか?

 アルバムの意志が伝わる/伝わらないということは、意識していなかったのでわかりません。でも、アンコールでステージに上がったときの、観客の表情を見て、意志とか意義とかいう観念的な言葉に捕われない、音楽の魅力を共有できたのかなと思いましたけれど。





終わりに

本インタビューの依頼にあたって、beehypeというメディアの理念を後藤に伝えた。その内容が以下である。


beehypeは海外の複数の音楽メディアのブロガー、DJらで成り立っており、世界のインディー・ミュージックを紹介し合う、音楽を通した国際交流という趣旨があります。欧米以外の国々の素晴らしい音楽を共有し合うことは、潜在的に平和に寄与すると考えています。政治、社会的な内容を直接問うのはなく、あくまで音楽について語り合い、それを通してお互いを理解しあう営みです。


彼が常に考えていることが自然に出ているにすぎないのだろうけど、まさに、この理念とも呼べない理念に寄り添ったような回答内容ではないだろうか。いかに言葉を尽くそうとも分かり合えないこともあるし、大した会話をしなくとも通じ合える人もいる。だから、声高に理想を叫ぶのではなく、音楽を通してあたたかい雰囲気を共有する。ふと、私は村上春樹『1Q84』で天吾の父親が語る言葉を思い出した。


「説明しなくてはそれがわからんというのは、どれだけ説明してもわからんということだ」 (『1Q84 BOOK2』村上春樹著、新潮社、P183より)

『THE FUTURE TIMES』を作りながら、後藤は正確に言葉を紡ごう、記録しようと努めるからこそ、その限界も知るのだろう。だから彼は言葉だけではなく、音楽を奏で続けるのかもしれないし、私は彼の音楽を聴き続けたいと思う。