Sufjan Stevens "Carrie & Lowell" INTERVIEW




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 教会の大聖堂を漂うゴースト(聖霊)のように透明に響き渡る声とアコースティック・ギター、つかみ所がなく実体がはっきりしないようでその軌道は天まで届く、神の国へ続いていく。サイモン&ガーファンクルのようでどこか違うのは、ピアノ、オルガンに随所にシンセサイザー、パーカッションなどの効果が加わり、現代のインディー・エレクトロニカ、R&B、オーケストラル・ポップを通過した地点から鳴らされているからだ。スフィアン・スティーヴンスの5年ぶりのアルバム『Carrie & Lowell』は彼のごく個人的な物語でありながら、期せずして音楽の歴史を俯瞰し包み込むものになっている。

 文中の発言はザ・ガーディアン、ピッチフォーク・メディアのインタビューより引用。内容自体も参考にしています。

  




 2015年3月26日の英ザ・ガーディアンのインタビュー記事によれば、スフィアン・スティーヴンスの母キャリーはいつも周囲を警戒する不安げな瞳をしていたという。内的宇宙へ逃避するような。 一方、現在のスティーヴンスはあたたかく打ち解けやすい、びっくりするほど雄弁な男だ。彼の音楽性は多彩だが、自身を「まず第一に語り部たるフォーク・シンガー」と捉えている。『Carrie & Lowell』は彼が母の死を受容(contain)しようとする試みだという。

 母は若くして結婚し4人の子をもうけたが、スティーヴンスが1才の頃、家を出た。父は再婚しミシガンへ移住。貧困のなか、父は厳格な家長として振舞う。母もほどなく再婚し子ども達と交流するようになる。再婚相手のローウェルは熱心なレコード・コレクターで、スティーヴンスにレナード・コーエン、フランク・ザッパ、ジュディ・シル、ニック・ドレイク、ザ・ワイパーズマイク・オールドフィールド等を聴かせた。少年時代から高校時代にかけてミックス・テープを作っては渡し、彼が大学でバンドを組むと観に行ったという。批評的にならず、しかし率直なサポートした。「家系とか血とか、厳しい親子関係とかでは全然なく、ローウェルはただそこにいた」とスティーヴンスは振り返るが。この発言はかなり重要だ。ありのままの彼を受け入れサポートし、加えて対等の友達のようにさえ扱ってくれたローウェルは家族の在り方の模範になったのだろう。

 1984年にキャリーとローウェルは離婚するが連絡は保っていた。2012年にキャリーが亡くなったとき、スティーヴンスは気をそらすために課外活動に奔走したが、2014年にはアルバム製作に入る。30曲のデモを作ったが、どうまとめていいか分からず、知人のプロデューサー、トーマス・バートレットに相談した。彼は言った。スティーヴンス自身の歌だから、彼自身を表したレコードを作ろうと。

 出来上がったのは11曲42分、冷酷かつ美しい。悲しみや死にとらわれ、しかし精神を浄化させる。テーマもはっきりした。この作品は「尊厳を付加された悲しみだ」とスティーヴンスは語る。赦しのアルバムであり、少年時代の混乱をへて今のミュージシャンである彼がある。だから過去に感謝する。「人生を変えることはできないが、怒りを捨て去ることはできる。育ち方に正解はない。僕の母子関係は聖なるものだったし、全ての親のはたらきは尊いものだ。捨てる、捨てないに関わらず」。つまりこの作品によって、彼は延長され混乱した思春期に終止符を打ったのだ。


2015年2月16日の米ピッチフォーク・メディアのインタビュー記事によれば、この15年、スフィアン・スティーヴンスは彼自身の生活史と、様々な時代の物語(聖書、ギリシャ神話、アメリカの寓話)をミックスして21世紀のフォルクローレを発明してきた。
新作も事実と虚構を混ぜてはいるが想像の部分は大幅に減った。たいていの曲は透明なアコースティック・ギター、ピアノ、幽霊のようなスティーヴンスのささやきで構成されている。音楽的には単純に剥き出しのアルバム。オーケストラによる高まりも、エレクトロニックな不可解さも、おまけにドラムもない。ニック・ドレイクや初期エリオット・スミスに似ているかもしれない。

 服装からか、十才は若く見える彼の部屋には、クリスチャン・ポップのスター、エイミー・グラントのデビュー・アルバムが飾ってある。黄金で縁取られたフラフープは、ブルックリン芸術大学とのマルチメディア・プロジェクトに使ったもの。子供向けのトレーディング・カードが詰まった本、切手コレクションもある。ホワイト・ボードには心臓を口に咥えたイラスト、一方には“僕”、もう一方は“君”と添えられている。コンピューターの上には、1ダースもの黒のバインダーに写真が詰まっている。オレゴン旅行の写真で、その内の1枚では、霧がかって木々の枝が垂れ下がり、遠くにカップルの人影がみえる。「何千も同じ写真があるんだ。君のおばあちゃんも気に入ると思うよ」と独り言のように彼はつぶやいたという。これらの描写から、年数を経ても損なわれない彼の少年性、こだわりを伴った収集癖が感じられる。また彼の母方の祖母はギリシャ系で熱心なキリスト教信者だったという。つまり彼の歌詞のモチーフに絶大な影響を与えたのだ。要するにおばあちゃんっ子だったってことだろう。

 『キャリー&ローウェル』にオレゴンの地はたびたび登場する。スティーヴンスが母キャリーと継父ローウェルと5才から8才までの3度の夏を過ごした場所。スティーヴンスが物心つく頃(formative point )だったからのみではなく、彼が1才の頃に家族を捨てた母について、唯一彼が回想できる記憶だから大切なのだ。彼女のローウェルとの5年間の結婚生活は、苦難に満ちた一生のなかで最も充実した時間だったようだ。父と継母と共にミシガンに住むスティーヴンス兄弟と母とのやり取りは彼女が亡くなるまで断続的に続いた。

 子ども達がそばにいたときが一番幸せだったと63歳のローウェルは言う。彼は離婚してからも子ども達とつながりを保ち、今はスティーヴンスのレーベル≪Asthmatic Kitty≫のディレクターだ。「子ども達は彼女の周囲に集まる人形のようで、ただ彼女を愛していた」と彼は言うが、この発言で私が思い出したのが、ザ・ガーディアンの取材時にスティーヴンスはマペット(人形劇)の帽子をかぶっていたこと。

 けれど『キャリー&ローウェル』はセンチメンタルな作品ではない。スティーヴンスは母子関係の痛みと混乱、彼女の死の余波を持ち込んだ。希死念慮、後悔、暴力性、木々を燃やす火事、病いを癒すこと、精神的な影、むこうみずさ、そして血。「僕はただ貴女のそばにいたかったんだ」。半生のコアな部分を晒して彼は弁解する。

このレコードで、見せかけの空想の世界から抜け出したかった」。彼は言う。「心の平静さのために、母の死から目覚めるために必要だった。何か新しいことを試みたり、発明や革新はない。アーティスティックじゃないのは良いことだ。これは僕の作品だ。僕の人生なんだよ」。


以下でピッチフォーク・メディアからの質問に対するスティーヴンスの回答を列挙し、解説している。


―母のことについて 

「僕が1才の時、母は去った。だから両親が結婚している記憶が無いんだ。彼女は迷っていた。僕らを育てる自信がなくて父が引き取った。僕が5才になる前にキャリーはオレゴンの書店員ローウェルと再婚した。僕らは三度の夏をそこで過ごした。母を最も見かけた期間だった。でも彼女がローウェルと別れてからは頻繁に会うことはなくなってしまった。時々祖父母の家に彼女がいるときは休みの数日会った。時々文通した。たまに彼女は行方をくらました。ホームレスになって救護施設にいた。「彼女はどこにいて、何をしてるの?」。僕は空想の物語をこしらえなくちゃならなかった。そう、奇妙な関係(a strange relationship)だった。キャリーは神話的存在で。だって彼女との生き生きした経験、思い出が全然ない。彼女と過ごした時間は少なくて、彼女を知りたい、一緒にいたいと思っても叶わなかった。」

この回答から想像を膨らませると、前作までの驚くべき空想と飛躍に満ちた彼の作品群は、幼少期の母親にまつわる神話的空想にルーツがあるのではないか。そう考えれば、彼女の死をきっかけにシンプルなアルバムを作ったのも頷ける。


-母キャリーの人柄について

「父とローウェルによれば、彼女はすばらしい女性だった。しかし彼女は統合失調症を持ち、抑うつと双極性障害、それにアルコールとドラッグ、薬物依存の問題を抱えていた。本当に病気だった。でも僕ら兄弟が一緒なら彼女は一番安定したんだ。彼女は真に愛らしくて思いやりのある、そしてとても創造的で面白い人だった。彼女について描写すると、人が僕の作品について批評する内容や、僕の躁的な矛盾した美学を思い出す。挑発的で遊び心に満ちた必死さとないまぜになった、深い悲しみ。

スフィアン・スティーヴンスがこれまでの作品で用いたオーケストラや打ち込みは、彼を棄てた母を空想することで現われたモンスターであったのかもしれない。その母の死をへてつくられた本作でモンスターは消え、弾き語りのようなシンプルな作風。しかしギミックが欠落していること≒雄弁な音楽でもある。母の精神疾患が彼の創造性と見えない糸で結びついていたが、母の死に際して、彼は精神病的な危機を乗り越え、新たなメソッドを確立した。


-母の不在を子ども心にどう感じていたか

「早くから母の病気に気がついてたよ。母だけでなく父もアルコール依存で、僕の家庭では物質依存が蔓延していた。父が素面になってAA(断酒会) に通い始めた時、12ステップ・ミーティングに僕ら兄弟も通った。だから僕らは依存との戦いについて具体的で責任ある意見を持っているよ。こういった環境を基にキャリーについて語ることもできる。この文化にはたしかに健康的な友情が存在するよ。けれど断酒会のミーティングには親しめなかった。それは負の烙印、スティグマ(聖痕)となって成人を過ぎるまで僕は酒を飲まなかった。」


-キャリーが亡くなったときのこと

「胃癌で、早い逝去だった。ICUに駆けつけた時、彼女は多くの痛み、多くのドラッグのなかに在り、しかし意識はあった。死と向き合い和解すること、なじみのないものに愛を表現することは恐怖だった。彼女の死は僕を荒廃させたよ。僕は空虚だったから。僕はありったけの彼女についての記憶を集めようとした。でも何も無かった。救いようがないと感じた。圧倒的で深い後悔、悲しみ、怒り。死別、喪の段階(the stages of bereavement)を全て通過した。後悔先に立たずさ。愛する人、傷つけられた人と機会があるたびに和解するべきなんだ。なぜ母が僕らを棄てたのか、それは僕らの最大の関心事だった。しかしもう、神が彼女を祝福した。だから彼女に僕らを養う能力がなかったことを知った。


-それはまさに禅の思想だというピッチフォーク・メディアの投げかけに対して

「ああ、愛は無条件(unconditional)なものだ。容易に理解することはできない。僕は信じている。相互の尊敬が欠けている場合でも愛することはできると。

これはもうほとんどアガペー(神の人間に対する愛)だと思う。この時キャリーは聖母マリアで、彼はキリストだったのかもしれない。


―母の終末に感じたこと

「もちろんその時点ではただ無条件に僕の愛を伝えることしか考えていなかった。相互の深い愛と気遣いがあった。それは深遠な癒しだった。しかしその余波が酷かった。感情的な波及や反響が彼女の死後、何ヶ月も続いた。ほとんど僕は破壊されてしまった。彼女の死の意味を見出せずにいたんだ。そのことをアルバムの歌詞で書きながら、和解や裁きの意味を追い求めた。決して楽しくはなかったね。」

神ならぬ人がアガペーを体現することは当然、強大な負荷を伴う。じわじわと母の死が彼の奥深くに浸透していくのと合わせてこれ以上ないダブル・パンチだ。


-疎遠だった母の死がなぜそんなに彼を打ちのめしたのかについて

「最初は無気力な状態だった。でも何ヶ月かたつと躁的で必死で、何かを非難して怒っていた。喪の段階には決まったパターンがあるというけど、僕の経験はいかなる自然な軌道も欠けていて、偶発的で複雑だった。厳粛で感情の無い時期から、突然深い悲しみに襲われた。地下鉄の車両の上で死んだ鳩を見たり、姪が遊び場に落ちてた水玉タイツを指さしたりといった他愛も無いことがきっかけで。そして公共の場で宇宙的な苦悩に見舞われたりした。奇妙だよ。僕は感情が絶望的なまでに損なわれた。もう母を追うことはできないから別の場所を探さなければいけない。そのとき、僕の一部は彼女に所有されていた。破壊的なふるまいはその証拠だった。」

前作で描かれた混乱は彼の中にある母親であり、それは矛盾しながらもなんとか均衡を保っていた。遠く離れた母との絆。それが崩れた。作品の中に現れた統合失調症的な感覚。父なる神を失ったアメリカ、混乱し複雑な世界を全て理解しきれず、抑うつに、感覚を遮断するために酒や薬物に依存してしまう。さもなければ様々な装飾(オーケストラ、エレクトロニクス、果てはR&B、ヒップホップ)で感覚を遮断する、それは世界の真実を置き換えた妄想なのだ。


-さらに追求する問いかけに対して

「ねえ、君。何が起こっていたか説明するのはとてもつらいんだ。それはフォース、あるいはマトリックス(母体、基盤、ラテン語で子宮)か何かだ。僕は信じ始めた。遺伝的に、習慣的に、化学的に、彼女のもつ破壊的なパターンに陥りやすい素因、傾向(predisposed)があったんだ。たくさんの行動化(acting-out)をしでかしちまった。でもそれは僕自身のやり方なのかもしれない… ああ、ごめんだ!僕はたぶんセラピーを受けるべきなのかもしれない。彼女の死によって彼女との同一化願望が生まれた。ドラッグやアルコールを乱用したくなって最低なことをしてまわった。さんざん有害でむこうみずなことをしたのは彼女と親密になるための僕なりのやり方だったのかもしれない。でも僕はすぐに学んだ。病いに嵌る必要はない。家族の機能不全にもかかわらず、自分の人生をすべて所有できる個人(an individual in full possession of your life)なんだ。僕は彼女に所有されてなどいない。ましてや彼女の精神疾患に嵌ってなどいない。良かれ悪しかれ、僕らは親をたくさん責める。しかし僕らは共に生きている。親子関係は深遠な犠牲だ。」

繰り返すけれど、彼の過去の作品でのマジックは精神疾患を持つ母についての幻想に由来していたのかもしれない。母が亡くなったとき、そのやり方は潰えた。だから新作はああいった形になった。母の死をきっかけに、彼は真実の悲しみ、怒りと向き合うしかなくなった。そのまま、ありのままの形で受け止めるすべを、コンテイン(Conatin)することを。それができなければアクティング・アウト(Acting out)してしまう。母の二の舞だ。だからこのアルバムの中でだけ、彼は母を蘇らせようとしている。聖母マリアが再臨、それは音楽が奏でられた瞬間。ティム・オブライエンが現代アメリカの歴史を描きながら、ごく個人的なオブセッション、損なわれた少女を創作の中で蘇生させる試みと同じだ。


- 母がいないとき、子どもの頃の父との関係

「実をいうと、僕ら兄弟はまるでテナントのように育てられてね。僕らの家庭には親密さが全く欠けていたんだ。それでもなお子ども達の間では友情が満ちていたけどね。物事はビジネスのように準備された。何せ本当に貧乏で食わせなきゃいけない口がたくさんだったしね。父も継母も仕事が長続きしなかった。いつもやっとこさ食いつないでいたんだ。ルールや制限や雑用はあったけど、何気ない楽しみは全然なかった。僕にとって最も父らしい人は血のつながりのないローウェルだった。」

スティーヴンスはビジネス用語を用いることで、より広く社会の在り方を批判しているようだ。ザ・ガーディアンでのインタビューでは家長という意味で大司教を表すpatriarchという単語が使われている。キリスト教に対する彼の矛盾した想念も読み取れる。


-父と義理の母がキリスト教を学ばせたのか

「いや、彼らは信心深くなかった。僕がメソジスト教会に通ったのは素敵な祖母のおかげさ。僕はキャンドルに火をつける従者で、まったく興奮したね。子どもの頃の夢は聖職者、説教者になることだった。だから新約聖書を学んで、食事の前に家族に読み聞かせた。彼らはとてもしぶしぶ付き合っていた。僕はただ魅了されていたんだ。僕の最も深遠でスピリチュアルかつセクシュアルな経験の一つは、メソジストのサマー・キャンプだった。」

すると聖書の読み聞かせはスティーヴンスなりの家族崩壊を予防する試みだったのかもしれない。母方の祖母が教えてくれた聖書は絶対的なフォースで、幼い彼にとって唯一、親に対抗できる秘密兵器だった。彼は今でもある種の説教者(Preacher)なのだ。時にManic(躁的)でストリート(Street)にたたずむような。さらに言えば母はギリシャ系で、すると彼の歌詞で重要なウェイトを占める聖書とギリシャ神話は母のルーツに関わるものなのだ。


- 信仰はどんな意味を持っのか

「僕は今なおクリスチャンだと言える。僕の神への愛、神との関係は拠って立つ基盤だ。でも僕の人生において意味するところや、その実践は常に変化していく。僕の信仰は信じられないほど自由だと気づいたよ。もちろん、神の国と教会は歴史上、最も破壊的なフォースの一つだった。信仰上の信念に基づく非嫡子の認定(bastardization)が行われた。しかしキリスト教のユニークなところは定まった形がなく、文化や土地に還元されず、とても順応性があることだ。」


-たいていの宗教がそうではないかという問いに

「でも幾つかは文化に基づいて、ある土地や文化的なコードへの忠誠(allegiance)を要求する。なんにせよ僕らは神無き社会に生きている。抱きしめよう!」

彼の父子関係に例えているようだ。彼と実父の関係はキリスト教のように自由ではなかったと言いたいのだろう。


-究極の感情がこもったレコードではないか

「このレコードが示す現実を、もし君がちゃんと消化できないようなら聴かないほうが無難だね。僕の人生での恐怖体験を明示しているから。でも僕はちゃんと芸術家としての責任を果たしてる。自分のみじめさに浸ったり、露悪趣味に走ったりしていない。リスナーに抑うつに満ちた、くよくよした散文を聞かせたいわけじゃない。僕はただ経験を誇りたいんだ。僕は犠牲なんかじゃない。同情を得たいわけじゃない。両親を責めたりしない。彼らは最善を尽くしたんだ。悪くすれば、これらの曲は僕のわがままに聞こえるかもしれない。でも上手くいけば、普遍的な経験につながる聖書として機能する。みんな患っているんだ。人生は痛みで、死こそ、その文章の最終的な句読点だ。だからそれを扱う。僕は本気で思ってる。精一杯生きて自分に正直になることで痛みや患いを乗り越えることができると。使い古された決まり文句かもしれないけれど。」


-生い立ちが原因で子どもは欲しくないと思うか?

「間違いなく欲しい。甥っ子や姪っ子がいるけど、彼らがどう育つべきか僕は明解な意図を持っている。兄には娘がいる、まだ子どもだよ。とても社交的で活発さ。美しいよ。彼女は自分のスピリットをしっかり持っていてiPadやiPhoneも使いこなせるんだ。彼女は僕よりインターネットに精通していて、でも、彼女は4才なんだよ。彼女は周りの大人に愛されている。(世界には)親密さが溢れている。

姪の少女については「SHOULD HAVE KNOWN BETTER」で言及されている。ひょっとしたらスティーヴンスの瞳には、彼女が母の生まれ変わり、とは言えないにせよ、代替する何かとして映っているのかもしれない。親の代が果たせなかったことを自分達兄弟がその子ども達にしてあげなければいけないと考えている。自らの中の混乱や矛盾を止揚して、虐待の連鎖を断ち切ること、愛情の連鎖を再活性化させること、それは本作、そして今後の彼の作品で描かれていくのだろう。






ジョン・レノン「ジェラス・ガイ」のピアノをギターに、恋人を母に置き換えたかのような「DEATH WITH DIGNITY」から始まる本作はスティーヴンスの母の死をきっかけに作られたという。アコースティック・ギターにファルセットのヴォーカルに、荘厳なピアノやオルガンの響き、シンセサイザー等が加わる。例えば「SHOULD HAVE KNOWN BETTER」の間奏で差し込まれる木漏れ日のようなシンセサイザーは母のイメージだろう。温かさに一抹の寂しさが滲んで、この音楽が流れている間は母が生きていた過去が再現されるかのようだ。私の推測だが、精神疾患を患い漂泊の日々を生きた彼女への思慕こそ、これまで彼の主要な着想源だったのではないだろうか。管楽器や打ち込みの突飛な装飾を用いて愛情の欠落を補完し、自らの生い立ちに折り合いをつけてきた。しかし今回は飛び道具には頼らない。あえて余計なギミックを鳴らさないことで欠落を肯定する。

母や継父の住むオレゴン州での幼少期の日々の回想と現在の心境を、キリスト教やギリシャ神話のメタファーを用いた歌詞で綴っている。自らを育てることができなかった母への思いという点では前述のジョン・レノンの71年以前の2作品を、家族の統合失調症というテーマではやはり71年以前のデビッド・ボウイが歌った兄についての曲を、父との確執、薬物依存の問題という切り口ではブライアン・ウィルソンの人生を私は連想してしまった。

そして本作に登場するキーワード、統合失調症、不安、抑うつといった精神疾患、ドラッグやアルコールへの依存、アクティング・アウト(行動化)、家族の機能不全を乗り越えて基本的信頼を勝ち取り、自らの内にコンテイン(受容)すること。これらをスティーヴンスはキリスト教の観点から説明しているが、それはあらゆる文化、宗教に応用できるものだ。

しかし彼は自分の生い立ちを哀れに歌い同情を得たいわけではないだろう。静かな教会の聖堂で密やかに演奏されたかのような楽曲たちは、この世界を生き抜くためのタフさ、信仰の自由を表現しているように聴こえてくる。最終的にスティーヴンスは息子であり、母を守る恋人であり、同時に息子を愛する母でもあろうとする。つまり、プリンス「If I Was Your Girlfriend」の世界観だ。さらにピッチフォークのインタビューで彼は母との関係をわざわざ「Strange Relationship」と呼んでいる。やや強引だが、すると本作で歌われる精神の闇は、かの『Sign Of The Times』で描かれた黙示録の光景なのかもしれない。

アメリカ人である彼の生い立ちなんて我々には関係ないし、馴染めないと思う方もいるかもしれない。しかし日本でも近年、吉田ヨウヘイgroupやROTH BART BARONなど、彼からの影響を公言する次世代のミュージシャンが続々出てきている。様々な異文化が混在するアメリカのポピュラー・ミュージックの歴史を俯瞰したこの作品は、遠い日本に住む若者にも共感できる普遍性があるはず。そもそも日本の歌謡曲、ロックだって、その始まりからして欧米からの影響抜きには語れないはずなのだ。